レース関連ドライバー写真&イラスト

ドライバー エピソードなど
鈴木亜久里

1994年シーズン中に、鈴鹿のJTCCを見に行ったときに、パドックで写した写真です。

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、足元の黒いシミは、亜久里さん直筆のサインです。この写真の1週間後に、カートの練習が栃木であったのですが、その時に、遊びで来ていた亜久里さんに、前週のレースを観に行ったことを告げたところ、ちょっとびっくりしたようすで、持っていた写真3枚にサインをしてくれました。左の写真のほかに、亜久里さんの乗っていたコロナの写真も2枚持っていってたんです。思わぬラッキーでした。

もっとも、亜久里さんが愛用しているカートは、クラッチ付きの本格的なヤツなので、一緒にカートを走らせることはできませんでしたが……

中島悟

日本に、F1文化をもたらしてくれた、中島悟監督。写真は、上の亜久里さんと同じ日のJTCCレースのパドックで写したものです。(こちらは、パドック裏ですが)

F1シーンでは、表彰台にこそ立てなかったものの、感動的なレースをいくつもみせてくれました。今は、監督として、国内レースでがんばっていますが、高木虎之介を育てたりと、まだまだF1からは切り離せない人ですね。ホンダのF1復帰がいよいよ来年に迫っていますが、なんらかの形で、関与してほしいものです。

アイルトン・セナ

日本におけるF1ブームの立役者です。とにかく1992年前後のF1ブームというのは、チケットの入手が困難で、鈴鹿のチケットを早々にあきらめたわたしは、なんとドイツまで行って、この人の走りを見てきたのでした。

セナのレースを生で見たのは、1992年のホッケンハイム、1993年の鈴鹿、1994年のTIサーキット英田での3回だけでしたが、どれも強烈なものがありました。まさか、TIで、この写真を撮った2週間後に亡くなってしまうとは……(左の写真は、TI行きの飛行機の中で、友人がたまたま乗り合わせたということで、その方からいただいたものです)

パソコン通信で知り合った方とのオフの最中に、ラッツェンバーガーの訃報を聞き、オフを終えて自宅のテレビで今宮さんの悲しい顔を見た後、それまで一緒だった仲間とチャットでセナの「死」について話し合ったことは今でも忘れません。

セナの走りを知らないF1ファンもそろそろ現れてくるのでしょうね。でも、そういう方にも、彼のレースをビデオなどで見て欲しいです。ヒーローは永遠に……です。

片山右京

この人が、白いティレルのマシンに乗っていた時は、ほんとうに盛りあがりました。予選の順位が常に、一桁台という強さを見せてくれました。もっとも、表彰台に立つことはなかったのですが、それでも速さは本物だったのだと、思っています。新聞に、5位とか4位とかの見出しが踊ったこともあって、いろいろと楽しませてくれました。

森脇さん

知る人ぞ知る「森脇塾」の塾頭です。現在のF1ドライバーも何人かは、この人の元からF1にステップアップしていっています。H.H.フレンツェンなどは、その代表格。

もちろん、テレビでのF1解説者としても有名で、その辛口な解説、クールな物言いとは逆に直接会ってお話しを聞かせていただいた時は、とても温厚そうな穏やかなおじさんでした。

でも、レース中は、厳しい表情と口調は、そのままでした。洋邦関係なく、これからも良いドライバーを多くF1界に送り出してもらいたいものです。

ミカ・ハッキネン&ジョニー・ハーバート

ホッケンハイムで目の前を通り過ぎたところを撮った写真なので、フレームによく収まっていないのですが、その伊達男ぶりはうかがえるのではないでしょうか?

この写真を撮ったのが1992年ですが、「北欧の貴公子」「フライング・フィン」も今では、だいぶフケてしまいました。(;_;)もっとも、その経験の厚さ、苦労の数々が1998年のタイトル獲得につながったのでしょう。この時、実力的にはハーバートもハッキネンに劣っていなかったように思えるのですが、今では大きな差ができてしまいました。

ハーバートにもがんばってもらいたいですね。

ゲルハルト・ベルガー

F1界でナンバー1のプレイ・ボーイも、引退してしまいました。最近は、BMWの代表としてコメントを出すことが多くなっていますが、この人の熱い走りは良かったです。あんまり熱くなりすぎて車ごと炎上してしまったこともあったのですが……

とにかく、フェラーリに乗って一番絵になるのは、この人だと、わたしは今でも思っています。